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March 28, 2005

ジャーナリズムの大御所登場

ジャーナリズムの大御所、立花隆氏が近くブログを立ち上げるそうだ。

立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」との題名で、ここ にすでに連載5回分の記事が載っている。

これは基本的に、そのときどきで私が発言しておきたいと思ったことを、かなり自由に発信するページである。いってみれば、一種の個人的ブログと考えていただいてもよい。

内容的には、政治、経済、社会的事件、国際問題、科学技術、文化(映画、文学、読書、ジャーナリズム、インターネット、風俗)などなど、そのときどきで、あらゆるものに筆を及ぼしたいと思っている。

書き方としては、即物的な最新情報をいっぱいに詰め込んだページとして展開するのではなく、むしろ目の前の現実から一歩引いて、より広い視野からそれを捉え直したときに、何がみえてくるかを中心に書きたいと思っている。ファクトそのものを伝えるより、私がそれをどう解釈しているか、それに対してどのような意見を持っているか、かなり主観性を帯びた、解説的オピニオンを付け加えたページになると思う。

 言うまでもないが、立花氏は田名角栄の金脈を追及し、退陣に追いやった伝説のジャーナリスト。万人が同じ地平に立ち、自由に発言できるブログの世界に参加することで、どのような議論が展開されるか非常に注目される。もしかしたら新しいジャーナリズムの形が見えてくるかもしれない。


 

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March 25, 2005

壮大な絵が隠されている?

コメントをいただいた方からの指摘で知ったが、二階堂ドットコムは、2月20日の時点で、フジサンケイグループとライブドア間の騒動に関して、裏で糸を引いているのはソフトバンク・インベストメント(SBI)の北尾吉孝CEOだと指摘していたという。

それよりも、「堀江のような30そこそこの小僧が全部の絵をかけるわけがない。必ず裏がある」というわけで、ありとあらゆる情報筋に接触し、背景を中心に探っていた。
 リーマンブラザーズに話を付け、大島と組ませたのは誰か。ズバリ言おう。ソフトバンクの北尾吉孝取締役である

とんでもなく面白いことになってきた。今まで報道されていない壮大な構想が裏に隠されているのかも知れない。
そもそもの話の発端である、リーマンと堀江氏の間を取り持ったのが、北尾氏だったという!
ライブドアとSBIは最初からグルで出来レースだったのか?
それとも堀江社長はソフトバンクグループの手のひらで踊らされていただけなのか?
月曜のホリエモンと北尾CEOの会談でどのようなオチが用意されているのか、非常に興味深くなってきた。

さらに、真偽のほどは定かではないが、ヤフーの掲示板から二階堂ドットコムに貼ったリンクが、ことごとく無断で削除される状態が続いていたという。
ソフトバンクグループが、自社の思惑を事前に漏えいされることを怖れ、管理人(ヤフー)の裁量で勝手に削除していたのか。
もし本当ならば、ヤフーというニューメディアに対する信頼が著しく失墜するだろう。
判例によれば、どんな情報を削除するかは管理人の裁量次第らしいが、多くの人がインターネットの入り口と考え、利用しているヤフーが検閲を行っていたとなれば、ブランド失墜は免れない。

あるいは「そんなの常識だよ」ということで、各人がメディアリテラシーを磨くしかないということなのか・・・

(追記)
今更新された二階堂ドットコムを見ると、フジテレビから追放された鹿内氏の子息と、北尾氏がかねてから頻繁に接触しているという。ホリエモンを追い出した矢先、日枝氏らがクーデターで追い出した鹿内家が「大政奉還」でフジテレビに復帰するとしたら・・・フジテレビにとってこれ以上の悪夢はないだろう。
さすがにこれはうがちすぎな見方の気もするが。。

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March 24, 2005

メディア主役の交代

ソフトバンクがフジテレビの筆頭株主に
強烈なニュースが飛び込んできた。
ソフトバンク(ヤフー)の前には、ライブドアも戦艦に挑む小舟。資金力、集客力がケタ違いだ。
プロ野球に続き、またしても途中参加のソフトバンクが実を取るのか。

いずれにしても、IT企業が、メディアの覇者として君臨してきたフジテレビを飲み込みことになる。
2005年はメディアの主役が交代した年として、歴史に刻まれることになるのだろう。

*あおりを食って愛知万博の開幕のニュースは吹っ飛んだな。
 ニュースって言うのは絶対価値じゃなくて、相対価値。
 限りある紙面や放送枠の中で優先順位をつけるもの。
 ニュースが薄い時はどうでもいいものも一面トップになったりする。
 今日は紙面の差し替えが大変だ、こりゃ!

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March 23, 2005

新聞に未来はないのか

新聞というメディアに未来はないと言われる。
いずれ紙でニュースを読むのはパソコンを扱えないシニア層だけになってしまい、ほかの世代はネットで無料でニュースを読むようになる(なっている)。わざわざ金を払って新聞を取る人が減り、発行部数が減れば当然広告も逃げ出す。

紙という媒体を捨てて、通信社のようなニュース配信会社になればいいという意見もある。だがヤフーやライブドアといったポータルサイトへのニュース配信料なんて微々たるもの。googleニュースなどのニュースアグリゲーターなんて新聞社に金も払わず、ロボットが巡回して集めたニュースの見出しを掲載している(前エントリー参照)。

これまでの収益源は購読料と広告の2本立でだったが、じゃあテレビのように視聴者からは金を取らず、広告だけでやっていく道はどうなのか。

ひとつは、媒体は紙のままのフリーペーパー。欧米の都市部ではすでに隆盛を誇っているし既存新聞社も無料版の発行に乗り出している。日本でもTOKYO HEADLINEは首都圏の街頭や駅で35万部を配布している。

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March 19, 2005

新聞記者の本音

面白いサイトを見つけた。
西日本新聞の採用案内のコーナーに載っていた、「これが記者だ」という現場で働く記者の座談会の記事だ。
お2人とも記者暦20年余のベテランだそうで、トラディショナルな新聞記者の本音や生態、仕事の醍醐味が非常に分かりやすく表現されている。
ここに描かれていることは、西日本新聞に限らず、全国の地方紙、全国紙記者に共通していることと思う。良くも悪くも業界の内部の人間にとっては当たり前のことばかりだが、マスコミ業界のことを知りたいと思っている外部の方々には非常に参考になると思います。

記者という仕事が面白いことはまちがいない。ただそれが自己満足、「業界の常識は世間の非常識」、あるいは読者のニーズとの乖離につながっていないか。
今はマスメディアやジャーナリズムに対する世間の関心や批判がこれまでになく高まっている時だ。
ジャーナリズムが失ってはいけないもの、変えるべき業界の古い体質。両者を明確に分けつつ、不断の自己点検が必要だ。

*ところで座談会の参加者は、この仕事についてから「信じられないくらいモテた」と話しているが、筆者は肩書のおかげでモテたという記憶はない・・・福岡での西日本新聞のステータスがそれだけ高いということなのか?座談会を読んで不純な動機を抱いた学生は過大な期待をもたない方がいいかも!?

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March 15, 2005

ニュースサイトに新機能続々

ヤフーニュースにランキング

どんな記事が今読者の関心を集めているのか一目瞭然。
今まで数百本のニュースを数十ページの紙に刷って「パッケージ」で売っていた新聞には、どの記事がどれだけ読者に求められているかというマーケティングの観点が欠けていた。というよりもニーズを正確に把握するシステム自体が存在しなかった。

予想通り芸能やスポーツ関係の記事の人気が高い。
新聞も若者の新聞離れを嘆くなら、芸能やエンタメの専門面を作ってもいいのでは。

ニュースを単純に人気度で測っていいのかという議論は取りあえず置くとして。
 
ほかにも
Googleにアラート機能追加、最新のニュースやWeb検索結果をメール配信

Googleニュース、好きなニュースを収集できるカスタマイズ機能を提供

キーワードは「ニュースのカスタマイズ化」、「新聞社の通信社化」

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March 02, 2005

「メディアの公共性」のウソ

「メディアの公共性」
という言葉が最近、さかんに飛び交っている。
「公共性をもつメディア業界は特殊」であり、「金にものを言わせた買収はなじまない」、という論調が多いようだ。

だけど、じゃあ一体「メディアの公共性」ってなに?まるで水戸黄門の印籠のように、有無を言わせず「公共性」を大前提にして議論が展開されることに、違和感を覚える人は多いのではないか。

メディアの公共性を議論する場合、まず「電波が有限である」ため国の免許が必要な放送と、新聞とは分けて考える必要がある。

新聞に関して言えば、ハッキリ言って「公共性はない」と私は考える。
あるいはもっと正確に言えば、「公共性を追求しようがしまいがその新聞の勝手」である。

と言うとホリエモンと同様、真摯にジャーナリズムを追究している人々からは反発を受けそうだが、新聞は本来的に「なんでもありの自由なもの」だ。

朝日新聞が左寄りであろうが、産経が右寄りであろうがその会社の自由。赤旗や聖教新聞のような新聞があってもいいし、ハナから読者が眉にツバをつけて読む「東スポ」や、風俗専門紙、小学生新聞があってもいい。
不偏不党や中立性というのは、「どんな政治家や団体からの圧力にも屈せず、自分のところの編集方針を貫く」ことであって、「右にも左にも偏らない無色透明」になることではない。
「偏向する自由」がある点が、免許制で法律上の制約がある放送とは全く異なるところだ。

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March 01, 2005

時代の覇権が移り変わる時

 黒船が来襲したときの幕臣もこんなものだったんだろう。ライブドアの買収騒動に慌てふためくマスコミ幹部の時代錯誤ぶりを見てつくづくそう感じる。シロアリが知らぬ間に土台を食い荒らすように、事態が顕在化したときには時すでに遅し。新しい時代が予兆されていながら、これまで旧世代の経営陣にはあまりに緊張感が薄く、ITの革新性や破壊性を軽視してきた。「アナログ世代」と「デジタル世代」の間の認識の溝はあまりに深い。

 私みたいなペーペー社員にしてみれば、最前線のIT企業に乗っ取られるのは大歓迎だ。ニッポン放送の社長は「ライブドアに買収されれば企業価値を損なう」と言ったが、ITの革新性や破壊性を理解しない経営陣が操縦桿を握り続けることの方が、よっぽど企業価値を損なうリスクが大きい。ホリエモンが果たしてニッポン放送やフジテレビの企業価値を上げることに成功するかは分からないが、少なくともこれからの時代、ITに深く精通する人でなければメディア企業の経営に関与する資格はないと思う。

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