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March 02, 2005

「メディアの公共性」のウソ

「メディアの公共性」
という言葉が最近、さかんに飛び交っている。
「公共性をもつメディア業界は特殊」であり、「金にものを言わせた買収はなじまない」、という論調が多いようだ。

だけど、じゃあ一体「メディアの公共性」ってなに?まるで水戸黄門の印籠のように、有無を言わせず「公共性」を大前提にして議論が展開されることに、違和感を覚える人は多いのではないか。

メディアの公共性を議論する場合、まず「電波が有限である」ため国の免許が必要な放送と、新聞とは分けて考える必要がある。

新聞に関して言えば、ハッキリ言って「公共性はない」と私は考える。
あるいはもっと正確に言えば、「公共性を追求しようがしまいがその新聞の勝手」である。

と言うとホリエモンと同様、真摯にジャーナリズムを追究している人々からは反発を受けそうだが、新聞は本来的に「なんでもありの自由なもの」だ。

朝日新聞が左寄りであろうが、産経が右寄りであろうがその会社の自由。赤旗や聖教新聞のような新聞があってもいいし、ハナから読者が眉にツバをつけて読む「東スポ」や、風俗専門紙、小学生新聞があってもいい。
不偏不党や中立性というのは、「どんな政治家や団体からの圧力にも屈せず、自分のところの編集方針を貫く」ことであって、「右にも左にも偏らない無色透明」になることではない。
「偏向する自由」がある点が、免許制で法律上の制約がある放送とは全く異なるところだ。

確かに「公権力を監視する」、「客観、中立の立場で社会を眺め、社会正義を実現する」、「いまだ公に現れていない真実を発見する」といった”正統的なジャーナリズム機能”は、現代でも必要性を増すばかりだ。

江川紹子さんは、ライブドアの堀江社長のメディア観に「(報道の使命などの)"志"や"矜持"といったものを、すべて否定してしまうのには、私は抵抗を感じる」と異議を唱えている。

産経新聞も「産経を支配するって? 少し考えて言ったらどうか」と過激的な題名をつけた社説(2月18日)で、「マスメディアは、国民の『知る権利』の担い手である。民主主義社会を支える役割があり、国のあり方にも大きな影響を及ぼす。だからこそ、報道・論評の自由を有している。そして、その自由を守るために、そこに属する人間は、責任の自覚と自らを厳しく律する精神が求められる。経済合理性では割り切れぬ判断を迫られる場面もある。堀江氏の発言からメディア集団に深くかかわることへの気概や、責任の重さに対する、ある種の畏(おそ)れが感じられなかったのは残念である」と、猛烈に反発している。

ニュースステーションの朝日新聞コメンテーターも先日、「彼のジャーナリズム観には賛同できない」とコメントしていた。

確かに正論だ。
だが、そういう「社会の公器」たる正統的ジャーナリズムというのは、あくまでも多様な言論活動の中の”一ジャンル”に過ぎない。
「正統派じゃないからホリエモンにはメディアに携わる資格はない」と言うのであれば、
それは”正統派の支配するファシズム”であり、一種の言論弾圧だ。
懐石料理や高級フレンチがある一方で、ラーメンやカレーがあってもいい。「ラーメンのような低俗な食べ物はいらない」と言うのは、高級料理人の傲慢だ。こだわりやプライドはあってしかるべきだが、特権意識の下に多様性を排除する視野狭さくに陥ってはいけない。

私は堀江氏がAERA紙上(2月21日号)で唱えているような「エンタメ路線」の新聞があっても全く問題ないと思う。
ただし、それならあえて産経を乗っ取らなくても、産経の前掲社説の言うとおり「『エンタメ新聞』を発行したいのなら、豊富にあるという資金を注ぎ込んで新たに発刊すればいいだけのことではないか」とは思うが・・・

そういう観点から見ると、今の”大新聞”は中途半端な存在なのだ。
クオリティーペーパーと呼ぶには、力量不足で信頼性に欠ける部分があるし、老若男女すべてを「お客さま」と想定した紙面づくりをしているので、これだけ価値観が多様化している時代では、逆に「誰にとっても中途半端」な情報しか載っていない。今はみんな自分にカスタマイズ化された情報を欲しがっている時代なのだ。「総合」で生き延びるのは難しい時代でもある。
であれば、良質なジャーナリズムに特化し、それを徹底的に追究する「ブランド」戦略が必要なのではないか。

長くなってしまったので、放送の公共性に関しては、またあらためて考えてみたいと思う。

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Comments

トラックバックありがとうございます。

実に面白い意見で、賛同いたします。

はっきり言って、ホリエモンなんてどうでもいいんです。彼が壊し屋でさえあってくれれば、みんな、ただそれを望んでいるのでは。

ついで以って言えば、ホリエモンは、ジャーナリズムを理解してない振りをして、すごく理解をしている人では。いわゆる海千山千の演技ですよ。だから、勝負がついた後の彼が楽しみです。

なんたって、東大中退した人ですからね。

Posted by: マサガタ | March 06, 2005 at 10:55 PM

トラックバックありがとうございます。

上記ご意見読ませていただきまして、その精神というか、「公共性を追及しようがしまいが新聞の勝手」あたりはなるほど、と思います。多分こちらの方と私は意見が近いところが多いと思うのですが、ただ、「新聞と電波は別」という前提で、新聞を中心に議論を始めながら、堀江氏の話に持っていくというのは論理的には少し弱いかな、と。あくまで議論の手続きの話として、ですよ。

「今の大新聞は中途半端」というのは全面的に賛成です。

Posted by: メディアリテラシー日記筆者 | March 07, 2005 at 05:47 PM

トラックバックをいただいたので見に来ました。

「メディアの公共性」のウソというのは、僕も感じるところです。ただ、このウソは、フィクションとして設定して活用すべき「方便」としてのウソでなければならないのかなとも感じます。文字通りウソになってしまっては、それは存在の意義を失っていくのではないかと思います。

メディアというものが巨大になり、資本主義の原理が強く働くようになると、それは金を出すスポンサーのものになっていくだろうと思います。新聞にしてもテレビにしても、今や宣伝費がその存続を支えているのだろうと思います。

一部の巨大企業の宣伝費に支えられるのではなく、大衆の一人一人がそれを支えているという構図があれば、それは「公共性」を獲得出来るのだろうと思います。NHKが、形だけでも受信料というもので支えられているというふうにするのは、そこに「公共性」の根拠を見出しているのだろうと思います。

これは、実際にはNHKの予算を左右するのは、その時の政府与党になるようですから、公共性というのはウソだろうと思います。しかし、このウソは、守らなければならないものとして、あからさまにウソであることを標榜してはいけないのだろうと思います。だからこそ、NHKは批判されるのでしょうね。

民放や新聞が、このウソがもはや建前としても機能しないのなら、早く衰退して消え去った方がいいのではないかと思います。これらがそのような存在に過ぎないのなら、インターネットの方が、まだ大衆的で、フィクションとしての「公共性」が生き残る道があるかも知れません。僕は、このウソをそんな風に感じています。

Posted by: | March 07, 2005 at 09:40 PM

秀さんのコメントにつきまして。

「公共性」がフィクションとして活用すべきウソだというのは同感です。ただ、そのフィクションというのは、建前としてしか成り立たないものではないと思います。多少は現実的な根拠がある。出版物の場合は部数であり、放送局の場合は視聴率です。読まれ、見られなくてはならない、という緊張感がメディアの公共性を支える根拠だということです。実際、視聴率が低いと巨大企業のCMも受注できなくなるのですから。

部数や視聴率の追究は、低俗な記事や番組の氾濫にしかつながらないのではないか。もちろんそんな側面もありますが、一方でそればかりが求められているわけでもないと思います。日本の新聞は全部スポーツ新聞の真ん中の面みたいになっているか、テレビはみんなヌードばかりの番組になったか。そんなことはありません。

もちろん「公共性」には建前として多少やせ我慢してでも追究すべき面もおおいにありますが、「読まれる、見られる」という必要がその背景にあることは抑えておくべき点だと私は思います。

Posted by: 「メディアリテラシー日記筆者」 | March 08, 2005 at 10:30 AM

トラックバック感謝です。

「メディアの公共性」、胡散臭さを感じてしまう言葉です。何故なのだろうかと考えてみるに、まずは「メディア」自体が曖昧なものになってきていること、そして、新聞、ラジオ、TVといった、いわゆるメディア側が、公共性やジャーナリズムを声高に謳うような存在足りえていない現実がそうさせているのではないか、と、思っています。

特に、今回のように、TV局や、ラジオ局に対してそれをもとめるのならば、上場させること自体が間違ってはいないのでしょうか?

確かに、電波の有限性にしたところで、むしろネット化、デジタル化がそのくびきを外す役割を果たすわけで、そこを想定してホリエモンという存在が出現したのでしょう。

いずれにせよ、これはオールドエコノミーに対するニューエコノミーのチャレンジであって、産業界ではすでに数年も前から引き起こされている流れだと思うのです。そして、その流れを伝えてきたはずの、そして、「世の中のことは何でも良くわかっている」はずのメディア側が自分だけは関係ないと、タカをくくっていた事が笑止です。

Posted by: divinghead | March 11, 2005 at 10:03 AM

TBありがとうございます。
公共性については、私の記事では直接触れなかったところですが、う~ん。はっきりいって、私にはそれが何なのか分からないものです。
私なんかは、パブリックがちゃんと存在しない社会に公共性なんて考えようもない・・・なんて思ってしまいます。我々一人ひとりが日ごろ社会と向き合うときにパブリックな視点を持てているのかどうか。四六時中持つ必要はないですけど、持たなきゃいけない場面はあると思うんですよね。

まずは、自分の日ごろ支払っているTAXやTAX的なものに敏感になることから始めたいものです。

Posted by: こざ | March 11, 2005 at 10:20 PM

いろいろかきたいんだけど、ライブドアに書くのでくたびれたので、一言だけ。

中立・公平性というのをゼロだというふうなたとえ話をするならば、
メディアの公平性というのは、プラス10の人とマイナス5の人を二人登場させることによって総計として0にすることだと思います。

0の人を沢山露出させることによって、0にするのではないと思う。
逆にいえば、0という主観的な価値観を視聴者に押し付ける。それは言論統制以外の何者でもない。
正しいことだからって、それ以外の意見を世の中から消してしまうのは問題です。

江川さんの言う矜持などというのは、まさに0という価値観を押し付けることだと思う。そして、朝日、サンケイと基準点たる0の場所が違っている。
そういうこと。

TBありがとうございました。

Posted by: sponta | March 12, 2005 at 07:42 AM

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