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September 28, 2006

グーグルPTAの支配する秩序

グーグルが、「Dont be evil」(邪悪にならない)たろうしていることは知っていたけど、「Dont be immoral」(不道徳にならない)も志向しているとは知らなかった。

日本のグーグルはフィルターかけられてんだよ

日本語環境のグーグルでは、勝手にエログロ情報にフィルターがかかっていて、しかもその設定を変えられないデフォルト仕様になっているんだという。

実はグーグルが「教育ママ」だったとは、ユーザーにとっては、かなり失望的なことじゃないか?!

と、ここで紋切り型に権力者グーグルの横暴を批判するのは簡単だけど、考えてみるほど、この問題は奥が深いようだ。

とりあえず実際試してみると、衝撃的。
何て言うか、コンタクトを初めて装着した時に見えた世界というか。現実の世の中はもっと色彩豊かでギラギラしていたんだ!と発見をしたような感覚。

グーグルは検索に民主主義の原理をもちこんだと言うけれど、「無修正」のままの生の民主主義のもたらす結果は、恐ろしくエログロまみれなのだ。南国の島じゃ紫外線カットのサングラスをかけないと眩しすぎるように、普通に検索を使う場合には、生のままの検索結果を表示したのでは、ノイズが混ざりすぎて妥当性を損なうということで、フィルターをかけざるを得ないのだろう。

だけど、「グーグルは検索結果に手を加えず、真に民主的な結果を表示する」と無邪気に信じているユーザーにとっては、知らぬ間に「フィルターon」にされていたとは、裏切られた気がする。

ここでグーグルがやっていることは、「グーグル八分」とはちがう、もっとマイルドな形での制約だ(裏ワザを知ればユーザーが表示設定を変更できるという点で)。

グーグル八分の名付け親?のessaさんが、以前に「課題図書と呼んだ原理に似ていると思う。それに触発されて、自分は勝手にこれを「グーグルPTA」と呼んでみたい。

つまりグーグル八分が、学校からの退学・追放を意味する父権的権力だとすれば、グーグルPTAは、教育ママのごとく生徒に「道徳」を押しつけている。しかも生徒の知らない間に、了解もなしに。「何が道徳的に正しいことなのか」の議論も抜きに、勝手に学校環境の秩序を保っている。当たり前だけど、何が「エロい」かは時代や場所や人によって異なるし、何が「グロい」かも同じこと。価値観の押しつけは迷惑なだけだ。

といいつつ、また話が飛んで恐縮だけど、よく考えてみれば既存のマスコミだって同様のフィルターをかけている。

日本ではテレビも新聞も、戦場や事件現場の死体は絶対に映さない。
逆に映っちゃったら使えないから、わざと映らないように撮るし、映ったらカットする。
一種の社会的「タブー」が意識的にも無意識的にもフィルターとして働いている。

でも外国では、国によっては死体を映すことはタブーじゃない。
むしろ戦場には死体が転がっていて当たり前だし、逆に悲惨な光景をクリーニングした映像ばかりを見せることは、戦争の悲惨さを覆い隠し、見る人の戦争に対するイメージを歪ませる、とも言える。

既存メディアにせよ、グーグルにせよ、ご利用の際にはメディアリテラシーが必要と言えばそれまでだけど。

そもそもフィルターをoffにしたら、グーグルが真に民主的な検索結果を表示してくれるかというと、かなり疑問だし、結局すべてはグーグル様のさじ加減ということだ。

だったら実のところ人間なんて「見たいものしか見たくない」のだから、いっそフィルターをカスタマイズするサービスを提供してくれたらいいと思う。

googleが考える「今はやらない」あえて偏ったgoogle検索

例えば、現在中国で行わている「検閲(フィルタリング)付き」での検索サービス提供などは、将来的には、日本でも、エロゲサイトやゲームサイトにアクセスできなくする設定の「office専用googleデスクトップ」みたいなビジネスに派生する可能性があったり、googleをかなり深くまで知っている"どこかの企業"が、「キリスト教原理主義者向け検索」みたいなのをgoogle検索の結果を複数組み合わせたメタ検索システムとして作るかもしれない。
検閲ではなく、顧客の「ニーズに寄り添った」情報提供のカスタマイズと言えば
受け入れられる可能性は高いだろうなぁ。

というように、いろんな企業や組織や個人の価値観に合わせた、多様なフィルターを用意してくれた方が、最初から検索結果から余計なノイズをはじいてくれて便利な気がする。

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September 11, 2006

昭和20年、東京で起きた9・11

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200年分の記事を検索できるGoogle News Archive Searchをさっそく使ってみようと、試しに「tojo hideki」と入れてみたら、奇遇にもこんな記事が引っ掛かった。

「1945年9月11日、東京郊外の多摩川の午後は蒸し暑かった」

という書き出しで始まる、TIME誌の「"Hold It," Tojo」という記事(1947年6月16日)を見ると、昭和20年の9月11日は、GHQがA級戦犯として東条英機を逮捕しようと東条の自宅を訪ね、東条が拳銃で自殺を図った日だという。

アラブ人のテロリストは、「アラー」の名を叫びながら、自らの命とひきかえにアメリカで数千人の命を奪った。
その56年前、元祖「カミカゼ攻撃」で無数の若い日本人を犬死にさせた東条は、一体だれのために、何の責任を取ろうと自殺を図ったのか?

TIMEの記事によると、東条の自宅から一発の銃声が聞こえ、家の外で逮捕の瞬間を待ち構えていたアメリカの記者達が踏み込むと、自らの胸を銃で撃った東条が血を流して床に倒れていた。記者達は、息絶え絶えの東条の手当をするどころか、仲間うちで「東条の頭をもう少し右に動かせ」とか「銃を東条の手に押し当ててくれ」と言い合い、歴史的瞬間の写真をよりよい見栄えにしようと、 瀕死の重傷人を手荒に扱っていた。あとどれくらいで東条の息が止まるか賭けをしていた記者もいたという。
 2時間ほど経ってようやく駆けつけた医師は記者達に問い詰めた。
「誰だ、東条の体を動かしたのは?そのせいで血が余計あふれ出たじゃないか」
そして意外な言葉を続けた。
「君たちが体を動かしたおかげで、肺に貯まるはずの血が外に流れ、彼は一命をとりとめた」
-------------------(以上、超意訳)

歴史は、登場する1人1人の意図とは無関係に、全く別の方向に流れていく。結局、「生きて捕虜の辱めを受くることなかれ」と自国の若い兵士に説いたショーグンは自決を遂げることなく、敵国に生け捕りにされ、法廷で「戦争犯罪人」と断罪された末、絞首刑に処せられた。

この偶然にも一命を取り留めた経緯が、よく知られた史実なのかどうかよく知らないけど、当時の世論は「死に損なって捕まった東条はヘタレだ」と冷たい反応だったそうだし、最近でも、佐々淳行や石原知事が、軍人のくせに小さい口径の銃で自殺を図って死にきれなかった点を批判をしているらしい。だがこの記事が正しければ、この批判は的外れだということになる。記者に乱暴に扱われていなければ、東条はその場で息絶えていたのだ。

となると興味深い疑問が湧いてくる。自殺していた場合、東条は今のように靖国に祀られていただろうか?A級戦犯としての判決を受ける前に死んでいても、靖国に祀られる条件である「戦争の犠牲者」ということになるのだろうか?あるいは連合国に裁かれなかったとしたら、日本人が自らの手で彼の戦争行為を検証し、責任を追及しただろうか?

ところでなぜ彼は自殺しようとしたのだろうか?彼が最後まで「自分が間違った戦争を指導した」と思っていなかったことは、自殺前に書いた遺書を読めば明白だ。

《英米諸国人に告げる》
今や諸君は勝者である。我が邦は敗者である。この深刻な事実は私も固より、これを認めるにやぶさかではない。しかし、諸君の勝利は力による勝利であって、正理公道による勝利ではない。・・・我れ等はただ微力であったために正理公道を蹂躙されたのであると痛嘆するだけである。

《日本同胞国民諸君》
・・・大東亜戦争は彼らが挑発したものであり、私は国家の生存と国民の自衛のため、止むを得ず受けてたっただけのことである。この経緯は昭和十六年十二月八日の宣戦の大詔に特筆大書されているとおりであり、太陽の輝きのように明白である。ゆえにもし、世界の世論が、戦争責任者を追及しようとするならば、その責任者は我が国にいるのではなく彼の国にいるということは、彼の国の人間の中にもそのように明言する者がいるとおりである。不幸にして我が国は力不足のために彼の国に敗けたけれども、正理公議は厳として我が国にあるということは動かすことのできないことである。・・・日本は神国である。永久不滅の国家である。

敵もいない遠く南の島で、自国から見捨てられ食料の補給もないまま部隊ごと飢え死にしたのも、特攻隊で犬死にしたのも、みんな鬼畜米英のせいだそうだ。

もちろん、戦争の一方が100%悪で、100%善ということはない。「アラー」を叫ぶアルカイダのテロリストも、「大義の戦争」を振りかざすブッシュも同じくらい狂信的で、理性を失っている。冤罪で無数のイラク人と自国の兵士を殺したブッシュこそ「平和に対する罪」で絞首台に上るべきじゃないのか?

だけど人のことをとやかく言う前に日本人にもかつて、集団ヒステリーを起こした過去があることは否定のしようがない。(いまだに日本を神の国だと信じている人は別として)。

「韓国や中国に言われて靖国参拝を取りやめるのはしゃくだ」
「東京裁判は間違っている」
という点も部分的には理解はできる。

だけど「あの戦争はまちがっていなかった」 「A級戦犯は濡れ衣だ」の地点まで戻るのならば、それは昭和二十年夏の敗戦以降の、この平和と繁栄を謳歌する日本の戦後体制すべて、ちゃぶ台をひっくり返すところまで、時計の針を戻してしまうことになる。それはすなわち中国・韓国を敵に回すだけでなく、より本質的には往年の宿敵、アメリカと再び対峙するということだ。世界中を敵に回して「もういっちょうやるか!」と行くところまで行こうというのか。

ちなみに自分の政治的な立場を明らかにしておくと、ウヨクもサヨクも嫌いな現実主義者です。どちらかというとノンポリであり、特定のイデオロギーにシンパシーを寄せることなく、リクツだけで物事は見る必要があると考えます。

靖国問題に関してネット上をざっと眺めて、最もリクツ的に納得できた意見を参考までに挙げておきます。

A級戦犯合祀は自らやめるべきである(7月20日改)(nozomu.net)
靖国問題で即席のコメントを求められました。あくまで即席回答です(MIYADAI.com Blog)
A級戦犯問題を「論理思考」で考察する (大前研一氏)
天皇はなぜ参拝しないのか 「心の問題」論と靖国神社(立花隆の「メディアソシオ・ポリティクス」)

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